ワーキングマザーの子連れ旅の記録

【香川県】うどん県行きの宇高連絡船の思い出

【香川県】うどん県行きの宇高連絡船の思い出

私、たび子が小学生の時に瀬戸大橋が岡山と香川を結んだが、それ以前は連絡船で行き来していた。

香川に向かうのに飛行機に乗った記憶があまり無く、東京駅から東海道新幹線→宇高連絡船→予讃線に乗っていた。

宇高連絡船のデッキには、うどん屋があって、プラスチックの容器に入ったうどんを景色を見ながら立って食べる。

小さい頃は割り箸が割れず、目の前のおじさんが片方を口にくわえてパキッと割るのを見て、大人はすごいと思った。

香川に渡る時は、デッキのうどんを食べると、旅がひと区切りしていよいよ香川に近付いていく気持ちになった。

別れの紙テープ

岡山に戻る時は、港の船着場でこちらを見上げる祖父母に届くよう紙テープの端を持って投げ、お互いが両端を持って別れを惜しんだ。ましてや子どもが投げて届くはずがなく、母が投げても非力やらコントロールが悪いやらで、見兼ねた知らないおじさんが代わりに投げてくれた。野球でもやっていたのか、きちんと祖父母のところに飛んでいくのである。コロコロと地面を転がる紙管を祖父が拾う姿に哀れみを覚えた。

やがて連絡船が出発すると、持っている赤や黄色の紙テープがしゅるしゅると回り始め、おびただしい量のテープが船の横に線を作っていく。

何メートルの紙テープだったか、以外と早く限界を迎え、ぷっつりと切れたところで船の上の人々は更に大きく港に向かって手を振る。

岡山からのフェリーの最後の就航

2019年12月、国鉄の宇高連絡船は運行されなくなってしまいましたが、四国フェリーが岡山県の宇野と香川県の高松を結んでいました。12月14日、土曜の夜、寝る前のいつもの習慣でネット記事を見ていたら、このフェリーが16日の月曜で運休していまうと知りました。業績の悪化で、フェリーの維持が出来ないのが理由でした。

行くしかない!15日の早朝、寝室で私が立っている気配を感じたのか、ぷい子が目を開けました。

「悪いけど、出かける準備をして」寝起きで意味が分からないぷい子は、もそもそと起き上がってくれました。

「泊まりでなく、香川に行く事にしたから」(いきなりでごめんね・・・)

リュックに飲み物や本やお菓子を入れて、最寄りの駅から始発の電車に乗りました。

緑の窓口で新幹線の切符を買いましたが、当日いきなりだったので窓側はあいておらず、通路を挟んで隣同士を取って貰いました。ここのところ、飛行機ばっかりだったので、久しぶりの新幹線です。

私が小学生の頃は、静岡あたりで「安倍川餅」とプラスチックの水筒のような容器に入ったお茶を売り子さんが売りに来ていました。「お弁当に、お茶はいかがでしょうか〜」の「か〜」の部分を高めに言うのを小さい兄弟と真似して言っていました。

岡山駅に到着して、宇野駅まで歩く

いつもなら閑散としているのかもしれませんが、この日はラストの休日という事で、切符を買う人の列が出来ていました。ここまで来て乗れなかったらシャレにならない・・・。と少し心配していましたが、無事に二人分の切符を購入。

波止場からフェリーに乗り込み、駐車した車の横を客席に続く階段を上がります。

宇高連絡船の場合は、2階のデッキにうどん屋さんがありましたが、このフェリーは船内にうどん屋さんがありました。懐かしい!席を取るより前にうどん屋(売店)に並びます。ぷい子に座る席を見つけて確保して来てほしいですが、どこに居るか分からなくなるので、一緒に並んでいました。

いつもの何倍の混雑だからか、おうどん屋のおば様たちが殺気立っています。「次の方!」

メニューを見て、「えーと…」と言っていられる雰囲気ではありません。

ぷい子と自分のおうどんを頼むと、湯気を立てたうどんがお盆に乗せて渡されます。人に当たらないように、デッキまで階段を上がって行きました。

連絡船の時は、使い捨てのプラスチック容器で食べてたような記憶なのですが、立って食べてたのかな・・・。フェリーでは屋根付き、テーブル・椅子付きで助かります。

 

高松に上陸

瀬戸内海の穏やかな波間を香川県に向けてフェリーが進みます。12月の風が吹く中、寒いけど景色が見たくて、ずっとデッキにいました。私が幼少時に香川に行っていたのは夏休みだったので、この寒さは覚えがありません。

ぷい子と二人で写真が撮りたくて、近くにいたおば様にお願いしました。それが一期一会のご縁でしばらくおしゃべりしていました。おば様とぷい子の2ショットも撮らせて貰いました。

高松港に近づくと、岡山に向けて並ぶ人たちが多くいるのが見えました。テレビの取材班も来ているようでした。

連絡船の事は覚えているのですが、高松港の記憶が一切ありません。港も再開発されて当時と様子が変わっていると思います。フェリーを降りる時に、名残惜しそうに写真を撮っている人が早く降りるようにせかされていました。

宇高連絡船の当時の様子

宇高連絡船の最後の船内放送の動画がYouTubeにがあったので見ていたら、懐かしさで胸がきゅんとしめつけられる感じがしました。「瀬戸大橋にバトンタッチして、78年の歴史に幕を閉じます」と乗務員さんが放送されていましたが、ご本人のその時の気持ちはいかばかりであっただろうと思いました。

ちなみに・・・フェリーで食べたおうどんは、風景という調味料を加味しても、とても美味しいと言えるものではありませんでした。冷凍のカト●チを使った方がもっと美味しくなると思いました。宇高連絡のおうどんはどんなだったんだっけな。JR高松駅の外に「連絡船うどん」というお店がありますが、今度訪れてみようと思います。

 

 

讃岐うどんと言っても、香川の西側の方が美味しいのです。民家にして見えないうどん屋「すざき」
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。